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戸田城聖  

2010年 01月 17日

            ◇創価の興隆は、偉大なる先師の悟りから始まった。

戸田城聖(幼少名:甚一)は、明治33年(1900年)2月11日、石川県で仲買商を営んでいた戸田家の七男として生まれた。
やがて一家は、ニシン漁でにぎわう北海道の厚田村へ移転。この厚田村が、戸田城聖の生涯の故郷となる。
高等小学校を卒業した戸田は、雑貨商で荷車を引きながら苦学する。17才で小学校準訓練資格を取得、夕張の小学校に代用教員として赴任、その後、正訓練資格を取得して東京に出る。その東京で待っていたのは、生涯の師、牧口常三郎先生であった。時に、戸田城聖20歳、牧口常三郎45歳。
戸田は、牧口先生の小学校で代用教員となった。戸田は、子供達に語りかけた。
「頭のいい悪いなんて、紙に1本線を引いた上と下ぐらいの差しかないんだよ」
戸田は、生徒から絶大な信頼を得た。生徒は皆、嬉々として受講した。
その後、戸田城聖は、私塾を開校、事業家へと変貌を遂げていく。
戸田は、牧口先生と共に、日蓮正宗に入信。創価教育学会を創立する。軍国主義日本の時代、やがて創価教育学会は思想弾圧を受ける。
生きて、牢獄から出所した戸田先生は創価学会二代会長となり、若き池田先生と共に学会を再建する。幾多の苦難を乗り越え、75万世帯という折伏を果たされ、昭和32年4月2日に崇高なる58年の生涯を閉じられた。
創価の大偉業は、戸田先生の「牢獄での法華経の悟り」から生まれた。法華経の白文を模索し、「仏とは内奥の最も崇高な生命」であると覚知され、加えて、法華経涌出品の会座に自らが存在していたことを悟られたのである。このとき、一切の仏法の究極が解き明かされ、700年を経て、日蓮大聖人の仏法が鮮烈に蘇った。この仏と地涌の菩薩の悟りとが、戸田先生と創価学会のその後を決定的なものにした。
「よし!僕の人生は決まった。この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ」
戸田先生は独房の中で1人叫び、日蓮大聖人の大仏法興隆の闘争を開始されたのである。
私達は、この事実を誇りにしている。偉大なる先師、牧口先生と戸田先生、さらに大勝利者になられた池田先生と共に生きられる幸せを、私達は日々噛み締めているのである。
戸田城聖先生の獄中の数珠の写真は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2010-01-17 07:36 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(4)

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Commented by mayumi at 2010-01-17 11:08 x
はじめまして。東京の三鷹市に住む女子部の者です。
学会の方のブログがあるとはビックリしました。
色々勉強になります。またお邪魔します!
Commented by Hermann at 2010-01-17 15:27 x
確か、上の一番最初の写真は、広宣流布記念日に
病気を押してでも出席為さった戸田先生ですよね。。。
感動のお写真です。
Commented by 菊川広幸 at 2010-01-17 17:45 x
mayumiさん、はじめまして。
私だけではありません。右の☆お気に入りのブログ☆にも、また、その他にも、沢山の創価系ブログがあります。いつでも、何なりとコメントくださって結構です。^^
これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
Commented by 菊川広幸 at 2010-01-17 17:46 x
ヘルマンさん、こんばんわ。
はい。上写真は3.16の記念式典の写真です。
戸田先生は、この2週間後に亡くなられました。最後の最後まで、私たちに勇気と希望を与えてくださった。感謝しても、仕切れません。^^
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