カテゴリ:創価三代会長( 22 )

霊鷲山の入口

◇創価学会総本部は現代の霊鷲山。
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霊鷲山(りょうじゅせん)。
古代インドの王舎城の東北の山の名前である。大智度論第三巻に「山頂が鷲(わし)に似ている」こと、「鷲が多くいる」ため、霊鷲山と名づけられたとある。
この山で法華経が説かれたため、霊山浄土ともいい、仏国土を意味するようになった。
御義口伝には、「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(757頁)とご教示されている。
また、「霊と云うは法華経なり・三世の諸仏の心法にして悟なり・鷲と云うは畜生にして迷なり・迷悟不二と開く中道即法性の山なり」(811頁)とも述べられている。
池田先生は、「仏法が説かれ、功徳が語り合われ、発心を誓い合う場となる会場は、さながら現代における霊鷲山会であり、虚空会といってよい。そこは生命蘇生の宝処である」と述べられている。その中でも、ことさら広宣流布大誓堂が完成した今、信濃町駅が霊鷲山の入口に思えてならない。(上写真はJR信濃町駅)
池田先生は、各種の会合、その場所が霊鷲山であると言われたが、広宣流布の本陣たる総本部は、霊鷲山の中の霊鷲山ではないだろうか。
池田先生は、信濃町を「信心が濃くなる町」と言われた。
これから、全国、全世界の同志が、この信濃町に集い、自らの広宣流布を誓い、信心をより深く、より濃くしていくことだろう。
さて、11.18に、池田先生は全同志に、次のお歌をくださいました。
「天までも 宝友(とも)と積みゆく 功徳城 師弟の万歳 永遠(とわ)に輝け」
「創価山 元初の誓いの 家族かな 苦楽を分かち 勇気を世界へ」
「大胆に 広布の新風 起こしゆけ 不二の若人 黄金(きん)の歴史を」
創価も同志も、永遠に輝かなければなりませんね!
苦楽を分かち、新しい風を起こして、黄金の歴史を作る‥
このお歌から、ますますの大前進を決意しました。
私、池田先生が会長になられた1960年に生まれました。
池田先生と共に生きられたこの人生に感謝したいと思います。
池田先生、素晴らしい創価学会を築いてくださって、ありがとうございました!
生涯、先生の弟子として、生きて、生きて、生き抜きます!(^^)
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by sokanomori | 2013-11-24 12:35 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(4)

日中国交正常化提言 <1968年9月8日>

◇歴史を学ばなければアジアの恒久平和は築けない。

c0180341_619558.jpg日本人も中国人も、日本と中国に関する近代史を知らない。
1945年、日本敗戦。その4年後、中華人民共和国が誕生した。戦後生まれの私たちの歴史認識は、そこからいきなり日中国交正常化、すなわち田中角栄首相と周恩来首相との共同声明の認識になっている。
国交正常化までの空白の20数年‥では、どのような経緯で、日中関係は改善されたのであろうか。
以下に主要な歴史を振り返る。
-------------------------
1945年 日本に原爆投下、敗戦。(以降、米国とソ連が44年間冷戦を続ける)
1949年 中華人民共和国建国。(国民党は台湾へ逃れる)
     (1950年朝鮮戦争‥1960年ベトナム戦争‥ソ連が原爆実験に成功)
1964年 中国が原爆実験に成功
1968年 9月8日、池田会長が日中国交正常化を提言
     (提言が台湾創価学会を苦しめることに心を痛めつつ‥)
1971年 ニクソン米大統領が訪中を予告。(ベトナム戦争終結が狙いとされる)
1972年 2月ニクソン北京で毛沢東と会談。
     (佐藤内閣から田中内閣へ)
1972年 7月、公明党が北京へ。(公明党は設立7年目・周恩来が指名)
1972年 9月、田中角栄首相が訪中。日中共同声明が実現。
     日中の不正常な状態が終結。中国は日本に対する賠償の請求を放棄。
     日本は、「一つの中国」を十分理解・尊重することとした。
     (一つの中国とは、台湾も中国との認識の意味)
1974年 12月、周恩来と池田会長会見
     (周恩来は、「世々代々にわたる友好を築かねばなりません」と会長へ)
1978年 8月、日中平和友好条約締結
-------------------------
資本主義と共産主義がお互いの破滅を願っていた時代であった。
原爆、水爆など大量破壊兵器が生まれ、増産されていく恐るべき時代であった。
1968年9月8日の池田会長の提言は、関係諸国を動かしていく‥
池田会長は、1964年の公明党結党大会で、すでに中国問題に言及している。
そして、4年後、第11回創価学会学生部総会にて、池田会長は23万人の学生部員に向けて「日中提言」をした。
その講演の主旨は、以下の3点である。
1.北京政府の承認、2.首脳同士の交渉、3.中国の国連加盟承認
冒頭、池田会長は、「遅かれ早かれ、中国問題を避けることは絶対にできなくなるのであります。また、我々の世界民族主義の理念の上からも、どうしても触れなければならない第一の根本問題なのであります」と述べている。
そして、その解決に当たり、事務的な問題処理を積み上げるのではなく、大局的見地から日中首脳のトップ会談を提唱したのである。
池田会長は、「トップ同士が胸襟(きょうきん)を開いて語り合えば、すんなり話は解決する」、さらに、「世界的視野に立って、アジアの繁栄と世界の平和のために、その最も重要な課題として、中国との国交正常化、中国の国連参加、貿易促進に全力を傾注していくべきである」とスピーチした。
この提言内容は、即座に翻訳されて中国政府に打電された。
周恩来は日中提言の全文を熱心に読み、「池田会長の講演内容は大変素晴らしいものだった。尊敬と感動に値する」と夫人に話している。
周恩来にして、「命を削ってでも会わねばならぬ人がいる」と言わしめた池田会長‥
この提言から6年後に、その周恩来と会長の会談が実現する。
周恩来・池田会談の記事は、→ここをクリック!
尚、当時のアメリカは、中国の国連加盟を強固に反対していた。
それは、台湾問題に発展することの危惧からであった。
この時、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた。また、中国はソ連と敵対していた。
一方、アメリカは、1960年から続くベトナム戦争が泥沼化していた。
この時代の中で、池田会長は、「中国が孤立して苦しむのは10億の民である」と発言し、中国の孤立を改善するよう強調したのである。

◇創価学会への批判と台湾創価学会の受難。

c0180341_6222243.jpg当時の日本は、佐藤内閣であり、反中国、反共産主義が徹底されていた時代であった。
その政府の中で、1963年7月参院選において、公明党は666万票で大勝した。
その公明党の支持母体である創価学会の会長が、政治的に敵対している中国との友好を論じたのである。
日中国交正常化提言は、日本のみならず諸外国に大きな波紋を広げた。
創価学会に対する脅迫の電話や手紙、右翼の街宣車による攻撃が絶え間なく続いた。
米国からは、「創価学会による民間外交は障害になる」との批判もされた。
そして、その波紋は中国と対立している台湾政府に及んだ。
結果、台湾創価学会は、池田会長の日中国交正常化提言の翌年(1963年4月)に「解散命令」が出された。学会活動が禁止になった。
御本尊、また御書、さらに学会出版物までも没収された。
その受難は、20年余も続いたのである。
場合によっては、アメリカ政府すら敵に回しかねない提言でもあった。
池田会長は、その危険極まりない対立軸の中で提言をしたことになる。
今、台湾SGIは、10年連続で台湾政府から、優良宗教団体賞を得ているが、これは、20年の冬の時代を経てのことである。
血のにじむような苦難を受け、今の台湾SGIはある。
このように、現在のアジアの平和、友好は、先人たちの命を懸けた努力と多大な苦難を経て得てられている。
故に断じて、この平和という宝を破壊してはならない。
尖閣に中国の軍隊の一部が嫌がらせをしようとも、対話を放棄し、軍事力による対抗を前面に押し出すようなことがあってはならない。
今こそ、池田会長の声を心肝に染める時だ。アジア、世界の全民衆の幸福を願い、全世界の共通利益を目標にして、私たちは行動しなければならない。

◇第11回創価学会学生部総会のYouTube。



22:58経過時点から日中国交正常化提言になっています。


尚、この記事は座談会で研究発表をした内容です。
その研究発表の記事は、→ここをクリック!

追伸:主な参考文献を以下に示します。
1.周恩来と池田大作の一期一会 潮出版社
2.池田大作の奇跡 第一巻 潮出版社
3.中国に広がる池田大作思想 潮出版社

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by sokanomori | 2013-09-29 06:29 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(8)

尖閣問題に対する池田名誉会長の提言

◇日中問題を語られた真意とは何か。
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池田名誉会長が「2030年へ平和と共生の大潮流」と題する提言を発表された。
これは1月26日の「SGIの日」に寄せてしたためられたものである。
聖教新聞に掲載された提言には、中国と日本の領土問題が語られていた。
尖閣問題について池田名誉会長が語られたことに驚き、幾度も読んだ。
この内容は、弟子である私たちは心肝に染めたいものである。
以下に、その提言内容を抜粋し記録に留める。
尚、文章を短くするため、原文と異なる箇所があります。
-----------------------
<日中首脳会議を定期開催>
東アジア環境協力機構の設置を提言


緊張が続く日本と中国の関係改善と未来展望について、私の考えを述べておきたい。
(国交正常化から)40周年の行事や交流計画の中止と延期が相次ぎました。
しかし、私は、日中関係の未来を決して悲観しておりません。
なぜなら、日中の友好は、国交正常化の前から、「涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ」の譬えの如く、心ある先人たちが一滴、また一滴と、両国の間に立ちはだかる頑強な岩盤を穿(うが)ちながら切り開いてきたものであり、長い歳月を通じて積み重ねてきた友好の絆があるからです。
私が国交正常化の提言を行った当時(1968年9月)は、中国との友好を口にすることさえ憚(はばか)られる状況でしたが、隣国との友好なくして日本の未来はなく、日中関係の安定なくしてアジアと世界の平和も開けないというのが私の信念でした。
提言から6年後(1974年12月)、北京で周恩来総理と鄧小平(とうしょうへい)副総理にお合いしたとき、お二人が“中国の人民だけでなく、日本の民衆も、日本の軍国主義の犠牲者である”との思いを抱いていることを痛感した私は決意をさらに深くしました。
以来、今日まで私は、若い世代を中心とした友好交流の推進に情熱を注ぎ続けてきたのです。
国交正常化後、中国から初の国費留学生6人を、私が身元保証人となり創価大学にお迎えしたのが1975年でした。
今や、中国から年間10万人の留学生が日本に学び、中国では1万5000人の日本人が学ぶ時代が到来しました。(中略)
この水脈に注がれてきた一滴、一滴は、顔と顔が向き合う“一対一の心の交流”を通じて育まれてきた友情に他ならず、どんな試練や難局に直面しても、容易に枯渇してしまうものではないし、断じてそうさせてはならないとの思いを強めています。
政治と経済分野では、大なり小なり波が起こることは歴史の常です。
穏やかで凪(なぎ)のような時代は例外的かもしれません。
大切なことは、日中平和友好条約で誓約した「武力または武力による威嚇に訴えない」「覇権を求めない」との2点を、どんな局面でも守り抜くことではないでしょうか。
その原則さえ堅持していけば、たとえ時間はかかっても、乗り越えるための道は必ず見えてくるはずです。
その上で、ハイレベル対話の場を早急に設けることを求めたい。
まず、「緊張を高める行為の凍結」について合意を図り、その後、対話を継続していく中で、今回の対立に至った経緯を再検証し、お互いの行動が相手側にどう映り、どんな反応を起こしたのかを冷静に分析しながら、今後の危機回避のためのルールづくりに取り組んでいくべきではないでしょうか。
もちろん、対話の過程で激しい意見の応酬は避けられないと思います。
しかし、それを覚悟の上で向き合わなければ、両国の安定、そして世界の平和は遠ざかるばかりです。(中略)
まずは、2015年に向けて「平和共存」と「人類益のための行動の連帯」を基軸にした新しいパートナーシップ関係を構築することを望みたい。
具体的な構想の一つとして、例えば日中両国が共同で主導する形で「東アジア環境協力機構」の設立を目指してはどうでしょうか。(中略)
中長期的な視野に立って、両国が互いに協力できる分野を一つ、また一つと開拓し、こうした挑戦の積み重ねの中で日中友好の絆は世々代々と受け継がれ、崩れないものになっていくと私は確信するのです。
-----------------------
この提言は、周恩来総理と共に切り開いた友好交流の歴史を「絶やしてはならない」との決意で、池田先生が後世に残されたのだと思います。
提言は、中国共産党の習総書記と公明党の山口代表との会談と同時期になりましたが、これは偶然の一致ではないでしょう。
ともかく、弟子の私たちは、この偉大な精神を受け継がなければなりません。
そして、未来万年に渡る平和共存の道を歩まねばならないと思います。
習総書記と公明党代表との歴史的会談は、→ここをクリック

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by sokanomori | 2013-01-28 23:00 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(14)

創立の月と池田先生

◇お元気な師匠と共に生きる喜び。(^^)
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先日の聖教新聞(21日)の三面記事。
「創立の月を菊花が寿(ことほ)ぐ」と題された記事が掲載されていた。(^^)
創立82周年11.18を祝賀する菊の花を観賞される池田先生の姿があった。
先生と奥様が歓談されながら、菊を見つめる写真。
以下は、その記事の抜粋である。
-------------------------
「うれしいね。ありがたいね」 名誉会長夫妻は、労作業に携わった全ての同志に心から感謝し、色鮮やかな菊の前で、しばし談話した。
晩秋の王花‥見事な菊花は、いかなる苦難も乗り越えて、友の心に「幸福」と「勝利」の大輪よ、咲き薫れ、と呼びかけている。
-------------------------
12月1日からは、池田先生の小説「新・人間革命」の連載が始まる。
12月中旬には、創価文化センターの開館式が予定されている。
そして、今、創価学会総本部は、2階部分まで鉄骨が組み上げられた。
さあ、上げ潮のとき。威風堂々、前進したい!(^^)

先日の学会本部の菊花の記事は、→ここをクリック!
創価文化センターの記事は、→ここをクリック!
総本部の工事の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2012-11-23 06:47 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(8)

牧口常三郎 獄中の闘争 (下)

◇どのような最後であられたのか。
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上写真は、牧口先生が家族に書かれた手紙の掲載ページである。
「牧口常三郎 獄中の闘争」には、18通の手紙が掲載されている。
黒く消されているのは、検閲で消去された箇所である。
絶筆となった最後の書簡(昭和19年10月13日)には、「カントの哲学を精読している。百年前、及びその後の学者共が、望んで手を着けない「価値論」を私が著し、しかも上は法華経の信仰に結び付け、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」と述べられている。
昭和19年11月18日。牧口先生は病監で亡くなられた。
その時の状況を、牧口先生の実子の嫁である貞子さんは次のように述べられている。
(抜粋・一部文書変更)
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(逝去の前日)
牧口先生が危篤との電報を受け取り、すぐに拘置所に駆けつけました。
病監の扉を開けて入っていくと、牧口先生が休んでいました。
看守さんから、牧口先生が病監に来るまでの状況を聞きました。
「そうとう体が弱っていました。何度か、『おぶってあげましょうか』、『せめて手でも引いてあげましょうか』と手を差しのべても、『一人で歩けますから大丈夫です』と言われ、歩いて病監に行かれました。ベッドに横たわって、初めて本当に眠るように休まれた」と言われていました。
ベッドの上の先生を見たところ、手紙を枕の下に置いて、足袋(たび)から下着まで、きちんと洗濯したものを身につけて休まれていました。
ご自分が亡くなることがわかってらっしゃたのでしょう。
病監に泊まることはできませんでしたので、いったん帰宅いたしました。
翌日の朝、亡くなったとの電報が届きました。
牧口先生の遺体は、実家の家で働いていた番頭さんが、拘置所から目白の自宅までおぶって連れてきてくれました。その番頭さんは、「まだ体が暖かく、やわらかく、生きているみたいでした」と語っていました。
11月20日、目白の自宅にて葬儀が行われました。
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牧口先生の葬儀に参加した弟子の数は、ごく少数であった。
生きて出獄された戸田先生は、この葬儀の内容を聞かれ、「あれほど弟子がいたのに、わずか4、5人とはなにごとだ!警視庁がそれほどこわいか。いまにみろ!」と憤慨されている。
さて、牧口先生の最後とは、いかなるご心境であられたか。
今となっては推し量りようもないが、書籍は次のように述べていた。
「やるべきことは全てやったという思いがあったであろう。最愛の弟子・戸田先生が、同じ拘置所の中で健康を案じて祈ってくれることを思い、さらに未来に、後継の弟子が陸続と出現することを確信していたに違いない」
生前、御子息とその嫁に、牧口先生は次のように言われていた。
「僕に何かのことがあっても、死んだ時には、一切戸田君がしてくれる。お焼香をするのは戸田君が一番先だ。お前たちは一番最後だよ」
「戸田君の時代になったら、学校に行きたいと思っても行けない人のために学校ができるよ。大学もできる」
牧口先生は牢獄で亡くなられましたが、一切を弟子の戸田先生に託され、その御心は雨上がりの晴天の如きご心境であられたと確信いたします。そして、牧口先生のダイヤモンドの如きご生涯を、私は心から誇りに思います。
以上で、本シリーズを終了します。
このシリーズの最初の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-06-09 05:55 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(10)

牧口常三郎 獄中の闘争 (中)

  ◇特高警察との命懸けの闘争。

c0180341_20182476.jpg特高警察。
それは、帝国主義の思想統一を図る特別な警察組織であった。
ナショナリズムを高揚させ、戦争に勝ち抜くため、国民を強固に統一する必要があった。
死をも恐れぬ人間を作る。国家思想に反する人間を排除する‥。
言い換えれば、国家に都合のいい人間を作るために暗躍した軍国警察であった。
そのために天皇を神とし、戦死者をも神とする国家神道を頂点とし、仏教などを神道の下に従わせる宗教統制を行ったのである。
宗門は、この弾圧に屈した。
神札を受け、御書を歪曲し、勤行における初座の観念文に「天照大神」を加えた。
観念文の改変とは、「謹ミテ皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国(ちょうこく)以来ノ代々ノ鴻恩(こうおん)ヲ謝シ併セテ皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ法味ヲ捧ゲ奉ル」というものであった。
宗門は魂を売り、国家権力にひれ伏した。宗門だけではない。国中の宗教という宗教が、天照大神を頂点とするように思想統合されたのである。
創価教育学会は、この思想弾圧に屈しなかった。牧口先生は、敢然と特高警察と対決なされた。牧口先生と特高警察との闘いは、「特高月報」という書籍に訊問記録が残されている。
以下に、その訊問項目の一部を抜粋する。

◆会員獲得の手段方法は。
◆日蓮正宗はいかなる教義、信条を持つ宗教団体なのか。
◆法華経とはいかなる教えなのか。
◆法華経と日蓮聖人の関係とは。
◆広宣流布とは、いかなる意味なのか。
◆法華経の真理から見れば、日本国家も濁悪の社会なのか。
◆大日本帝国憲法と法華経の大法とはいかなる関係か。
◆御本尊と日本の神々との関係とは。
◆折伏、謗法とはいかなる事か。
◆謗法払いとはいかなることか。
◆皇太(こうたい)神宮の神札等を撤去し、焼却した数量とは。

牧口先生はこれらの訊問に、ごまかしも保身もなく、現代の創価学会の信義とまったく同じ内容の答弁をされている。その内容の一部をご紹介する。(現代文に要約)

<天皇も凡夫である>
天皇陛下も凡夫であって、皇太子殿下の頃には学習院に通われ、天皇学を修められているのである。天皇陛下も間違いがないわけではない。
しかし、陛下も、久遠本仏たる御本尊に御帰依なられる事によって、自然に智慧が御開けになって、誤りのない御政治ができるようになると思います。

<法華経に反するなら国家も罰を受ける>
憲法は、現世におけるところの日本国を統治する法であり、陛下が御定になった、いわゆる法律でありますが、政体が変わって、将来憲法も改訂されたり、廃止されることがあるかも知れません。法華経の法は、宇宙根本の大法でありまして、過去、現在、未来への三世を通じて、絶対不変の大法であります。その時代時代によって改正されたり、廃止されたりする法律諸制度とは違うのであります。
故に、この大法に反することは、人類としても、はたまた国家としても許されない事で、反すればただちに法罰を受けることになります。

監獄の中にありながら、獅子のごときご回答をされる牧口先生。その偉大さ、強さ、大確信に、涙なくして読めない箇所です。他宗が持論を曲げ、軍事政権に迎合した現実から見て、牧口先生の闘争は、まさに稀有の出来事でした。
牧口先生の不惜身命の獄中闘争は、創価学会の永遠の誇りです。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-06-07 23:58 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(8)

牧口常三郎 獄中の闘い (上)

◇牧口初代会長の獄中闘争とは何か。c0180341_2126764.jpg

牧口常三郎先生は、明治4年6月6日(旧暦)の御生誕であられる。
本日、牧口先生の生誕140周年の佳節を迎えた。
牧口初代会長とはいかなる人生を歩まれ、いかなる獄中闘争をされたのか。
さらに言えば、どのような最後であられたのか。
ここに1冊の本がある。「牧口常三郎 獄中の闘い」と題された書籍である。
この本は、3章から成り立っている。第1章は、幼少期から獄死に至るまでの牧口先生のご生涯の記録である。第2章は、特高警察の訊問(じんもん)調書からの抜粋である。第3章は、家族に宛てた獄中書簡の解説である。
この書籍から、牧口先生の獄中闘争を連載記事にいたします。
牧口先生の幼少期から創価教育学会の設立については、過去に記事にしているので、ご参照下さい。その過去の記事は、→ここをクリック!
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牧口常三郎先生は哲学者であられた。
幸福の追求の果てに、価値が美・利・善であることを悟られた。
美とは好みのことである。利とは個々の豊かさのことである。善とは、最終的に全人類の公益である。この価値を追求したとき、牧口先生は日蓮大聖人の仏法に到達された。
御書に照らし、日蓮大聖人の仏法を正しく実践された牧口先生。
その実践から得られたのは、数限りない功徳であった。牧口先生は、その功徳を、「実験証明座談会」で語り合った。牧口先生の厳格な宗教活動は、やがて、神社参拝拒否、神札受理拒否へと発展した。結果、治安当局からの厳しい監視が行われることとなった。
昭和18年5月。会員が折伏した相手の家にあった皇大神宮(こうたいじんぐう)の神札を焼却したことが発端となり、特高警察は「不敬罪」に当たるとして、牧口先生は1週間に渡って拘留され、取調べられている。
同年6月、日蓮正宗は法主・日恭(にっきょう)の立会いのもと、学会も神札を受けるように命じたが、牧口先生はこれを拒絶した。その後、牧口先生は、宗門の方針を変更するように厳重に抗議したが受け入れられなかった。それどころか、6月末、宗門は牧口先生に対して「登山停止」を命じ、さらに「信徒除名処分」を言い渡したのである。
この1週間後の7月6日、牧口先生と戸田先生は、「治安維持法違反」と「不敬罪」で逮捕された。牧口先生の1年5ヶ月に及ぶ獄中闘争が開始された。
獄中の生活は凄惨を極めた。冬は持病のひざが痛み、寒さのため胃腸の状態が悪くなった。暖房もなく、指は凍傷にかかるほどの厳しいものであった。食事も粗末であった。運動は1日10分。風呂は1週間に1度であった。
昭和19年11月17日。牧口先生は自ら死期を悟られ、足袋(たび)や下着、衣類をきちんと洗濯したものを身につけて病監へと歩まれた。そして、翌11月18日に死去された。
この獄中で何があったのであろうか。
次回は、特高警察の訊問(じんもん)調書の記録から、牧口先生の闘争に迫ってみたいと思います。次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-06-06 23:00 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(4)

地区

◇創価学会の組織は何のためにあるのか。
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いつもの通勤電車。
連載中の新・人間革命を読もうと聖教新聞を開いた。
そこには、昭和41年(1966年)の池田先生の姿があった。(上写真)
美しい写真に感動した。真剣な眼差しで指導をされている池田先生。
その指導を命に刻もうとする白蓮グループの乙女たち。
この写真と記事を拝し、私は歓喜の中で新・人間革命を読んだ。
そこに、池田先生の渾身の指導が書かれていた。(抜粋)
------------------------------------
学会の組織はなんのためにあるのか。広宣流布のためであり、それは、皆さんに功徳を受けてもらい、幸せになってもらうことが目的です。
そのための学会活動です。これが一切の根本であることを忘れてはならない。
功徳を受ければ、御本尊の偉大さ、題目のすごさを、心から実感します。
歓喜がみなぎり、信心の確信が深まります。功徳の体験を積み、確信を深め、信心の喜びがあれば、おのずから人に仏法を語っていきたくなります。
したがって、大ブロック強化のポイントは、結論すれば、大ブロックのなかで、どれだけの人が功徳を受け、人間革命でき、歓喜しているのかということなんです。
具体的に言えば、座談会で、われ先に体験を語ろうとするような大ブロックこそ、本当に強化された組織なんです。それは、統監の数字を見ているだけでは、わかりません。
------------------------------------
地区(大ブロック)という組織の理想形が描かれていた。
否、創価学会を支える地区は、こうでなければならない。
創価学会の行動の根幹は、唱題と弘教である。その実践から、本当の功徳を受け切ること。功徳の体験が咲き香る地区の構築こそ、組織発展の原動力であることを池田先生はご指南されていた。心から納得できる内容であった。
文証も理証も、現証としての功徳がなければ意味がない。現証なき創価の宗教は「おとぎ話」でしかない。創価の宗教は、個々の地区部員の現証によって現実のものになる。
私は、数え切れない功徳を頂いた。私は、その功徳によって、大聖人の仏法、創価の宗教の偉大さを知った。私の功徳は、→ここをクリック!
この功徳の体験がなかったら‥。私は、今のような学会員ではない。
功徳の体験が創価学会員を作り、その歓喜の声が創価学会を育むのだ。
私は、我が地区を心から愛し、誇りに思っています。
その最愛の地区の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-03-02 21:20 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(6)

世界広宣流布への旅立

◇会長50周年は、世界広布50周年です。
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c0180341_21445453.jpg池田先生の会長就任は、1960年5月3日である。宗祖日蓮大聖人の立正安国論による国家諌暁(かんぎょう)より、正に700年後に当る。
未曾有の世界広布が開始されて50星霜。
仏法は、世界192カ国地域に拡大した。
世界史は将来、この世界規模での仏法の興隆に驚嘆し、その実行者の名前を永遠に讃えるであろう。
上写真は、大白蓮華8月号に掲載された、池田c0180341_21592790.jpg会長と厚田村の同志の写真である。渡米直前の8月27日に、浜で海に向って撮影されたこの写真について、関係者は「『世界広布の旅へ征こう!』という写真に見えるのです」と語っている。
池田会長は、この1ヵ月後の10月2日、世界広布への第一歩を印された。当時の本部幹部会で、海外学会員の世帯数が発表されている。
第1位 沖縄 5,886世帯 (当時はアメリカ統治下)
第2位 北アメリカ 466世帯 
第3位 南アメリカ 113世帯
第4位 台湾 45世帯
第5位 韓国 36世帯
この他、インドネシア、フィリッピン、オーストラリア、インド、ビルマ、シンガポール、西ドイツ、エジプト、ヨルダン、イタリア、フランスなどが海外学会員の在住国であった。
池田先生は、会長就任直後に、「英語版の学会書籍」の発刊を指示した。1960年6月から日本語の原稿が作成され、7月から翻訳が開始された。
本のタイトルは、「THE SOKAGAKKAI」。
初の英語版の本が、池田会長の渡米直前に完成することになる。
当時の翻訳担当者は、「仏法用語である『久遠元初』や『一念三千』など、どう翻訳すればよいのか。何の手本もなかった」と述べている。先駆者の苦悩は、いつの時代も計り知れない。しかし、苦労が大きい分、功徳も大きい。
やがて池田先生は、世界5大陸54カ国、400都市への世界旅を果たされた。
70回の海外渡航。識者7000人との対話の旅であった。
まぎれもなく、世界広宣流布は池田先生によって切り開かれたのである。先生の50年の激闘は、末法万年に渡る仏法興隆の不滅のエンジンとなることだろう。

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by sokanomori | 2010-07-26 22:42 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(10)

7.3の意義

◇創価学会の宗教とは何だろうか?
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c0180341_1239561.jpg創価学会の宗教は、運命に従い、悲嘆にくれる無力な宗教ではない。あるいは、山林に交わり、自己の安穏を願う慰めの宗教でもない。
創価学会とは、障魔との闘争の宗教であり、苦難を乗り越える力ある宗教である。仏とは行動の人であり、間断なき闘争者である
昭和20年7月3日。戸田城聖先生は、空襲に焼かれた大地に、生きて獄中より出られた。あたかも、人類の不幸の真っ只中に、地より涌き出たがごとくに。この一粒の種子が、やがて世界宗教たる創価学会を作る。
昭和31年、創価学会は、初めての国政選挙を闘い、3名の国会議員を誕生させた。
この選挙で、北海道の夕張炭鉱では、組合員
1万7000人の内、4000人を超える人々が創価学会の推薦候補に投票した。このことが原因して組合内に創価学会に対する嫌悪と差別が生まれ、翌昭和32年5月末、組合から創価学会員に対する締め出しが決議されるに至った。
この騒動の渦中、参議院大阪地方区の補欠選挙で一部の学会員の選挙違反が発生した。
選挙違反を口実に、池田青年室長への出頭命令が出された。当時、池田青年室長は、夕張炭鉱問題の解決のために北海道に赴き、問題の解決に奔走していた。
池田青年室長は、7月2日に夕張大会を終了させ、7月3日に大阪東警察署に出頭して逮捕された。獄中闘争15日。池田青年室長は、「出獄と入獄の日に師弟あり」と詠った。そして再び、権力との闘争を開始した。(下写真は、出獄直後の池田青年室長)
嗚呼、7.3よ。我らにとって、7.3は不朽の誇りであり、永遠の闘争のエンジンである。
障魔は、仏に影のごとく寄り添う。太陽が最も力を増す真夏に、巨大なる乱雲が激しく雨を降らせるがごとく、正義の闘争には必ず難が競い起こる。
されど、この大難と仏は戦い、仏は勝利するのだ。
仏法とは、文証より理証、理証より現証によって、その偉大を評価するものである。
幾多の大難を乗り越えた創価の宗教は、創価三代会長の勝利によって完成した。この三代会長の行動と勝利がなければ、日蓮大聖人の仏法は現代に蘇ることはなかった。
偉大なる創価よ!偉大なる三人の師匠よ、万歳!!
過去の7.3の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2010-07-03 21:30 | 創価三代会長 | Trackback | Comments(8)


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