カテゴリ:仏教豆知識( 29 )

日蓮大聖人年表1 <御生誕から佐渡流罪前まで>

◇佐前佐後(さぜんさご)に分けて解説します。

c0180341_619550.jpg過去、簡単な年表を作成したことがあります。
その年表は、→ここをクリック!
このほど、詳しい年表を作成しました。
日蓮大聖人の御生涯とはいかなるものだったのか‥
教学の研鑽でご活用いただければと存じます。
竜の口、佐渡流罪前後の2つに分類して提示いたします。
(御年齢は、大聖人の数え年です)


1歳.
1222年 貞応元年(承久4年を改元) 
2月16日、安房国 長狭郡東条郷(ながさきごおり とうじょうのごう)、現在の千葉県鴨川市に「片海の海女が子」として御生誕された。幼名は善日麿。

5歳.
1226年 嘉禄2年
8月1日、幕府、銅銭通用を勧める。銭千枚をひもで貫いたもの貫差(かんざし)といい、おおむね一貫文で米一石が相場であった。

9歳.
1230年 寛喜2年
全国的に大飢饉となる。(寛喜の飢饉)
この年、長雨、低温、暴風などの異常気象で大凶作となり、凶作は翌年まで続いて餓死者が続出した。当時の記録として、「明月記」には、「餓死者が充満し、その死臭が家までに及ぶ」と記されている。

12歳.
1233年 天福元年(貞永2年を改元)
清澄寺に入学。虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となしたまえ」(888頁)と誓願する。
清澄寺は天台宗であったが、のちに真言宗となり、昭和24年(1949年)には日蓮宗に改宗した。

14歳.
1235年 嘉禎元年
鎌倉に地震続発。京都に疱瘡(天然痘)が大流行した。天皇家、幕府要人も天然痘になっていることが記録に残されている。

16歳.
1237年 嘉禎3年
清澄寺の道善房を師として出家得度し、是聖房蓮長と名乗る。

17歳.
1238年 暦仁元年
鎌倉に遊学する。

19歳.
1240年 仁治元年
鎌倉地震にて、幕府の主要な祭祀場の鶴岡八幡宮が倒壊。

21歳.
1242年 仁治3年
鎌倉遊学を終えて、比叡山に遊学。ここを拠点として、畿内や高野山などで修学された。大聖人は比叡山であらゆる経典を読破され、法華経が釈尊の正しい教えであることを確信された。

26歳.
1247年 宝治元年
6月5日、北条時頼が三浦氏を討つ。(宝治の合戦)三浦家は滅亡。
11月26日、鎌倉大地震。

32歳.
1253年 建長5年
日蓮と名乗る。4月28日、安房国清澄寺にて立教開宗する。
直後、念仏者の地頭・東条景信によって清澄寺を追われる。
鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を結ぶ。
この年、富木常忍が帰依する。

35歳.
1256年 康元元年
8月6日、鎌倉大風洪水。9月以降、赤痢などの伝染病が流行。
11月23日、北条時頼、最明寺で出家。
工藤吉隆、池上宗仲、四条金吾らが入信。

36歳.
1257年 正嘉元年
8月23日、正嘉の大地震。鎌倉を中心に起こった大地震で、鎌倉全域に甚大な被害に及び、地震以降、飢饉、疫病が広がり凄惨を極めた。
大聖人ご自身、この震災を体験され、このことが契機となって「立正安国論」が執筆されることになる。

37歳.
1258年 正嘉2年
6月、鎌倉大寒気し、全国的に大雨、洪水、疫病流行。
9月以降、諸国にて盗賊群が蜂起。
日蓮大聖人は、駿河国(静岡県)岩本実相寺にて、一切経閲覧される。日興上人が弟子となる。岩本実相寺には、当時、一切経が収められていたという。
(この年、日蓮大聖人の父、死去)

38歳.
1259年 正元元年
大飢饉、疫病の流行で数多くの死者が広がる。

39歳.
1260年 文応元年
この年、疫病が流行して収まらず。
4月29日、鎌倉で大火。
7月16日、「立正安国論」を前執権・北条時頼に提出。
8月、松葉ヶ谷の法難。

40歳.
1261年 弘長元年
伊豆流罪。この年、良観が鎌倉に入る。
「椎地四郎殿御書」 「船守弥三郎許御書」を著す。

41歳.
1262年 弘長2年
伊豆にあり。
「四恩抄」「教機時国抄」を著す。

42歳.
1263年 弘長3年
2月22日、伊豆流罪を赦免される。

43歳.
1264年 文永元年
5月2日、延暦寺の衆徒が対立していた園城寺を襲撃。
7月5日、大彗星が出現。
安房国に帰郷し、病身の母を祈り寿命を4年延ばす。
11月11日、小松原法難にて、東条景信ら数百人の念仏者らに襲撃を受け、弟子、檀徒(工藤吉隆)が殉死した。大聖人も額を切られ、左腕を打ち折られた。

46歳.
1267年 文永4年
8月、良観、極楽寺に入る。
大聖人の母、妙蓮死去。

47歳.
1268年 文永5年
1月、蒙古の国書が来る。日本に対する通商の要求であったが、拒否すれば武力侵攻もあるとの内容であった。
7月17日、朝廷が異国降伏の祈祷を命じる。
同年4月5日、大聖人は「安国論御勘由来」を顕され、10月11日、幕府や寺院などに「十一通御書」を送り、宗教の正邪を決するべきことを公場対決で求められた。

48歳.
1269年 文永6年
3月7日、蒙古の使者が対馬に到来して島民を拉致。
9月17日、高麗の使者が対馬に到来し、蒙古の国書を届ける。
9月24日、蒙古の国書、朝廷に届く。

次の日蓮大聖人年表2は、→ここをクリック!
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by sokanomori | 2013-11-14 06:29 | 仏教豆知識 | Trackback

日蓮大聖人年表2 <佐渡流罪以降>

◇佐後の主要な出来事を列記いたします。

佐渡流罪以前の年表1は、→ここをクリック!
次に竜の口法難、佐渡流罪以後の出来事をご紹介します。

50歳.
1271年 文永8年
6月、鎌倉大干ばつ。同月、極楽寺良観と日蓮大聖人との間で祈雨対決が行われ、良観が敗れる。
9月、蒙古の使者が筑前に上陸。
(10月、朝廷で、蒙古の国書をめぐって論議される)
9月10日、幕府より召し出されるが かえって 平頼綱(たいらの よりつな:平左衛門尉)を諌める。
9月12日、平左衛門尉に「一昨日御書」を送り、再び諌める。
同日、召し捕られ、竜の口法難。光物の出現にて斬首を免れ、幽閉される。
9月13日、日朗等5人が投獄。
10月10日、佐渡流罪が決定、佐渡へ向かう。
10月21日、越後寺泊、10月28日、佐渡に着く。

51歳.
1272年 文永9年
佐渡にあり。
1月16日、越後(新潟県)、遠くは信濃(長野県)から数百名の念仏者、真言僧が塚原三昧堂に集結した。大聖人は、道理・文証のうえから完璧に論破された。
群衆の中には顔面蒼白で沈黙する者、悪口する者、改宗帰伏する者までが出た。
2月、北条時輔の乱(2月騒動)が起こり、立正安国論の自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)が的中した。
2月、「開目抄」を顕す。

52歳.
1273年 文永10年
佐渡にあり。
4月、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を顕す。
5月、「顕仏未来記」を顕す。

53歳.
1274年 文永 11年
2月14日、幕府が佐渡流罪の赦免状を発する。
3月8日、赦免状が佐渡に到着。
同月14日、鎌倉に向けて出発。
同月26日、鎌倉に到着。
4月、平左衛門尉と会見、蒙古襲来の時期を「今年は一定なり」と進言。
5月、鎌倉を出発し、身延へ入山する。
10月、元(旧名・蒙古)来襲。(文永の役)
立正安国論の他国侵逼難が的中した。

54歳.
身延にあり。
1275年 建治元年
3月、極楽寺炎上。

55歳.
1276年 建治2年
3月、蒙古の来襲に備え、九州北部に石塁の構築を開始。
7月、師・道善房の死去で、「報恩抄」を顕す。
このころ、四条金吾が領地替えとなる。

56歳
1277年 建治3年
6月、四条金吾に代わって、「頼基陳状」を著す。
(四条金吾の主君・江間氏に冤罪を晴らすための陳状)

57歳.
1278年 弘安元年
1月元旦、「御義口伝」完成。
(このころまでに、四条金吾の勘気が解ける)
2月、熱原の神四郎、弥五郎、弥六郎が入信。
6月、大聖人の「下痢(くだりはら)」が悪化。
四条金吾の薬で小康を保つ。

58歳.
1279年 弘安2年
9月、熱原の法難。信徒20名が逮捕され、鎌倉に連行される。
10月12日、一閻浮提総与の大御本尊を御図顕。
(同月、神四郎、弥五郎、弥六郎が斬首)

60歳.
1281年 弘安4年
5月、元(旧名・蒙古)・高麗軍が来襲。(弘安の役)
6月、小蒙古御書にて、門下一同に他国侵逼難の予言的中を誇らしげに語ることのないように諌める。
11月、身延に十間四面(じゅつけんしめん)の大坊が完成。

61歳.
1282年 弘安5年
9月、日興上人に「日蓮一期弘法付属書」(身延相承書)を与える。
同月、身延下山、池上に入る。
10月13日、日興上人に「身延山付属書」(池上相承書)を与える。
同日、池上邸にて御入滅。

<年表について>
歴史を知ることは、御書拝読に大変役に立ちます。
いつの時点で、どのような御書が語られたのか‥
この年表を御書拝読にご活用いただければ幸いです。
尚、私は御書の全編拝読を三度いたしました。
その全編拝読の記事は、→ここをクリック!
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by sokanomori | 2013-11-14 06:11 | 仏教豆知識 | Trackback

ロシアで巨大隕石の発見

                 ◇巨大隕石が湖底から発見される。
c0180341_19532214.jpg

本年2月、ロシアで巨大隕石の空中爆発があった。
その隕石の破片が発見されたと報道された。(写真は読売新聞)
この出来事は、日蓮大聖人の竜の口での「ひかりもの」を彷彿とさせた。
御書には「辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる・十二日の夜のあけぐれ・人の面もみへざりしが・物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ・太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき・或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり」(914頁)とある。
まさに、目がくらむような出来事は、このロシアでの出来事に酷似している。
回収された隕石は、湖底から発見されたもので、重さが570kgあるという。
尚、この隕石は、大気圏を突入して爆発し、その衝撃波で建物の窓ガラスが割れるなどして、約1600人を負傷させている。
過去の隕石爆発の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-10-17 23:56 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(12)

貧女の一灯 (ひんにょのいっとう)

◇強くたくましく美しく生きる、生き抜く。

c0180341_2104450.jpg強風の中、あなたは崖っぷちを進む。
砂塵があなたの肌を傷つける。
はるか彼方の幸福を目指し、あなたは急ぐ。
創価とは何。そして、あなたは誰。
あなたは創価の後継の人。
広宣流布に生きるあなた。
以下に、仏教説話「貧女の一灯」を記す。
-----------------------
釈尊の時代のマカダ国。
その王舎城(おうしゃじょう)の近くに一人の貧女あり。
困窮の生活の中、釈尊に供養をしようと願い、
貴重な貯えのお金で、わずかばかりの麻油を手に入れて供養した。
貧女は念ずる。「このわずかな油では半夜も燃えまい。
しかし、もし、仏が私の信心を認めてくださり、哀れんでくださるなら、
この灯火は夜通し燃えるだろう」
その願いどおり、貧女の一灯は一晩中、
しかも須弥山からの強風に耐えて燃え続けた。
夜が明けた。釈尊は宣言した。
「未来に、必ず、須弥灯光如来(しゅみとうこうにょらい)とならん」
-----------------------
釈尊の時代の真心の灯一つ。今もその灯が私たちの心に燃えている。
かの貧女は、今、創価の中に生まれたもうか。
日蓮大聖人の仏法は即身成仏なり。
遠い未来ではない。今、この人生で幸せになる。仏になる。
創価学会仏として、強くたくましくあなたは生きる。
冬の冷たい吹雪に、夏の炎天下に、
あなたは笑顔で、今日も生き抜く!

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by sokanomori | 2013-10-11 21:06 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(2)

異体同心 (いたいどうしん)

                ◇志を同じくして力を合わせること。
c0180341_6203835.jpg

c0180341_621066.jpg日比谷公園の石垣を見た。
カタチの違う石が1つの塊となって団結していた。
異体同心事という御書がある。
宛先、年月共に不明であるが、熱原弘通が語られていることから、健治元年(大聖人54歳の御時)作と考えられている。
-------------------------
「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ・周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ・一人の心なれども二つの心あれば 其の心たがいて成ずる事なし・百人 千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず・日本国の人人は多人なれども 体同異心なれば諸事成ぜん事かたし・日蓮が一類は異体同心なれば 人人すくなく候へども 大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(1463頁)
-------------------------
殷の紂王の70万騎を周の武王は800人で撃破したのだ。
一方は同体にして異心、一方は異体でありつつも同心だった。
異心であるなら負け、同心ならば勝つのである。
異なる境遇、立場であっても、信心根本に広宣流布を目指しゆく我ら。
さあ、我らは兄弟だ! 姉妹だ!
石垣となり巌となって、強風を切り裂き、波浪を打ち破るのだ。
今に見よ、我らは創価なり。同心なり!
断じて勝つ。絶対に勝つ!
不可能を可能にする要諦は、→ここをクリック!
異体同心事の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-07-09 06:25 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(4)

日蓮大聖人年表 <略年表>

以下に、日蓮大聖人の主要な出来事を示します。

1222年(貞応元年)2月16日 1歳
安房国東条郷小湊(現・千葉県天津小湊町)にご生誕。幼名「善日麿」。
.
1233年(天福元年)5月12日 12歳安房「清澄寺」の門に入る。
.
1237年(嘉禎三年) 16歳
清澄寺で得度し、蓮長と名乗る。(翌年より鎌倉へ遊学)
.
1243年(寛元元年) 22歳 比叡山に遊学。
.
1253年4月28日 32歳日蓮と名乗り、清澄寺にて立宗宣言。鎌倉にて弘教を始む。
.
1260年(文応元年)7月16日 39歳
「立正安国論」を北条時頼に提出、諫暁する。8月27日、松葉ヶ谷の法難。
.
1261年(弘長元年)5月12日 40歳 伊豆流罪。
.
1263年(弘長三年)2月22日 42歳 流罪赦免。鎌倉に帰る。
.
1264年(文永元年)11月11日 43歳 小松原の法難。
.
1268年(文永5年)10月11日 47歳
11通の書状を書き、執権・北条時宗、平左衛門尉頼綱、建長寺道隆、極楽寺良観などに送付。他宗派との公場対決を迫る。
.
1271(文永8年) 50歳
6月18日~7月4日 極楽寺良観と祈雨対決。
9月12日 竜の口の法難。平頼綱を諫暁する。(第二国諌)
10月10日 佐渡流罪が決定し鎌倉を出発。
10月28日 佐渡上陸。
.
1271(文永8年) 51歳
1月16日 塚原問答
2月 二月騒動。(自界叛逆難)
同2月 人本尊開顕の書「開目抄」を顕される。
4月25日 法本尊開顕の書「観心本尊抄」を顕される。
.
1274年文永11年2月 53歳 佐渡流罪赦免。
3月20日 鎌倉に帰る。翌月8日、平頼綱に見参。(第三国諌)
5月12日 身延へ向けて鎌倉を発つ。6月、身延沢に庵室成る。
10月5日 蒙古襲来(文永の役)。他国侵逼の難。
.
1279年(弘安2年)9月21日 58歳 熱原の法難。
10月12日 一閻浮提総与の大御本尊を建立。
(翌年、二度目の蒙古襲来(弘安の役)となる)
.
1282年(弘安5年)10月13日 61歳 御入滅。

さらに<詳しい日蓮大聖人年表>は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-04-22 21:37 | 仏教豆知識

水の信心

     ◇なぜ、水の心が大事なのか。

c0180341_5435169.jpg火の信心と水の信心がある。
前者は悪い譬え。後者は良い譬え。
火の信心も時に必要であろう。
けれど、火は燃え尽きる。消える。
これに対し、水の信心とは、川の流れの如く、井戸の湧水の如く、延々と継続する信心である。
尽きることのない真の信心である。
日蓮大聖人は、上野殿御返事に次のように述べられている。
「法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり・聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり・水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(1544頁)
水の信心とは、過去、現在、未来へと延々と持続する信心である。
大河である必要はない。ささやかな小川でよい。
その信心の小川には、やがて魚も住む。鳥もくる。
周囲に草木も茂り、花も実もつけるであろう。
習慣化される信心こそが大事である。
体も動かさなければ駄目になる。
数日、寝たきりになれば、人は歩くことすらできなくなる。
一度に栄養をとったからといって、健康になれるというものでもない。
少量ずつでも、バランスのとれた栄養をとることが大事である。
同じように、日々の信心の積み重ねが本当の信心だ。
私も40歳から水の信心になった。
水の信心の人は、いつかつぶやくだろう。
「なんと素晴らしい幸せの人生だろう!」と。(^^)
花をつける「人生」の詩は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2012-09-26 05:48 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(18)

発心 (ほっしん)

◇人は発心から成長する。成長できる!

c0180341_2241113.jpg発心(ほっしん)。「心を起す」との意味である。
竹は節目を伸ばし、春に一斉に成長する。
樹木は、年輪を作りながら少しずつ伸びていく。
それぞれの個性で、それぞれの成長をする。
冬は植物は成長しない。
けれど、このときに年輪が生れる。
その年輪が樹木の骨格となる。
人間も成長したり、成長しなかったりする。
頑張ったり、頑張らなかったりする。苦難の中で耐え忍ぶこともある。
何がその原因になっているのだろうか?
それは、心である。心が起きれば、人は急速に成長できる。頑張れる。
心が弱ければ「一丈の堀」すら越えられない。
でも、心が起きれば、「十丈の堀」も越えられる。
体調が悪い。何となく気分がすぐれない。人に会いたくない。
これらは日々の「一丈の堀」だ。
魔もある。楽をしたい。遊びたい。惰眠をむさぼりたい。
これも1つ1つが「一丈の堀」である。
そんなことが沢山積み重なって、やがて俗世間に染まっていく。
いつか創価の誇りや歓喜を忘れてしまう。
そのくすぼった心を吹き飛ばすのが勤行・唱題だ。
そして会合で周囲を励まし、励まされて発心するのだ。
さあ、心を起そう。決意しよう!
そうすれば、今からグングン伸びることができる。成長できる!
宿命も宿業も、不可能と思える障害も、全部、突破できる。
私たちは日々、月々に発心する。
そして、今日も決然と歩む!
祈りの過去の記事は、→ここをクリック!
祈りとは何かは、→ここをクリック!

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追伸:発心とは仏教用語で、「悟りを得ようとする心を起こすこと。菩提心を起こすこと。仏門に入ること。発起。発意」の意味です。
by sokanomori | 2012-09-05 22:44 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(9)

仏の器

◇仏の入れ物だから大切にしたい。
c0180341_22263716.jpg

小説「新・人間革命」に戸田先生の指導が描かれていた。
(以下、聖教新聞8月7日「厚田4954」より抜粋)
------------------------------
生死は不二である。
生と死は、別のものではなく連続しており、いわば表裏の関係にある。
第二代会長・戸田城聖は、法華経の方便品・寿量品講義で、生命は永遠であることを強く訴えている。
「この世の中へ、また生まれてきて、また死ぬ。また生まれてこなければならない。それがために、仏法ということを“やかましく”言うのであります。死んでしまえば、おしまいだと言うなら、仏法は必要ないことになる」
さらに戸田は、自殺にも言及した。
「この肉体というものは、法の器と申しまして、仏からの借り物になっております」と述べ、その大切な仏の入れ物を、勝手に壊してはならないと力説している。
自ら命を絶ち、福運を消してしまう人を、絶対に出したくなかったのである。
------------------------------
「仏の入れ物」という記述にハッ!とさせられた。
頭のてっぺんからつま先まで「仏の器」なんですね。
歯も皮膚も、髪の毛1本にいたるまで「仏の入れ物」。
体の隅々まで、全部大切にしたいと思います。
そのために、食事も運動も、生活環境の保全も全部重要ですね。
大切にしましょう。お互い、仏の器なのですから。(^^)
以下に掲げる項目は、健康・長寿に関する過去の記事です。
ご参考までに示します。

◆歯を大事する ◆親不知対策 ◆サプリメント ◆水虫対策 ◆禁煙のすすめ
◆世界対がんデー ◆タバコは毒物の缶詰 ◆1千回の満月

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by sokanomori | 2012-09-01 23:18 | 仏教豆知識 | Trackback | Comments(10)

三国四師

◇三国に出現して法華経を弘通した四人の師。

c0180341_5263928.jpgインド、中国、日本を指して、昔は「三国」と呼んだ。
「三国一の花嫁」とは、世界一の花嫁ということである。
当時、この三国は、天竺(てんじく)、震旦(しんたん)、本朝(ほんちょう=日本のこと)と言われていた。
天竺の語源となっているインダス河流域はシンドゥ(sindhu)と呼ばれており、「信度」と音写された。
このシンドゥが、東南アジアの人たちの発音でティンドゥ(tindhu)となり、「天竺」となったようである。ちなみに、インド(印度)もシンドゥが語源である。
震旦とは、サンスクリット語のチーナ・スターナ(cina-sthana)、秦(しん)、あるいは支那(しな)の音写であるという。本来、中国とは「中天竺」のことであり、現代の中国に住んでいた人たちは、インドのことを中国と呼んでいたようだ。
では、当時の中国の人たちは自分のところをどう呼んでいたか。
それは、「秦土辺地(しんどへんち)」と言って、「へんぴな所にあるチーナ」と表現していた。
唐の時代にも、「漢土辺地(かんどへんち)」と呼び、天竺に敬意を払って、自らの土地を「辺地」と呼んでいたのである。
では、日本はどうか。14世紀末の「太平記」には、「わが国は粟散(ぞくさん)辺地の境なり」と書かれ、粟(あわ)をまき散らしたようなちっぽけな国と言っていた。
これらは、昔、世界の中心がインドだった証である。
インドを訪れた震旦の僧・法顕は、「沙河(しゃが=ゴビ砂漠西端)はしばしば悪鬼、熱風が現れ、これに遭遇すればみな死んで、一人も無事な者はいない。空には飛ぶ鳥もなく、見渡す限り広大な砂漠で、ただ死人の骨を指標とするだけである」という記述をしている。
(法顕は、五世紀にインドを訪れた訳僧)
その砂漠を越えても、さらに世界の屋根と言われるパミール高原が聳えていた。
自然、風土、あるいは文化や言語の異なる途方もない距離を、仏法は渡り、この東土の日本に達したのである。
このルートを、サンスクリット語から中国語を経て、日本に法華経が渡ったことになる。
中国の天台大師、日本の伝教大師の功績、さらに釈迦と日蓮大聖人を加え、「三国四師(さんごくしし)」と言う。
顕仏未来記には、この三国四師について次のように記述されている。
「伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり・浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり・天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云・安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す・三に一を加えて三国四師と号く」(509頁)
この法華経は、日蓮大聖人の仏法としてインドに西還した。
今、創価の「南無妙法蓮華経」は全世界で唱えられている。

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by sokanomori | 2012-07-22 06:18 | 仏教豆知識


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