カテゴリ:死とは何か( 10 )

豊かな死を迎えるために

◇ホスピスケアに取り組む医師の話。

c0180341_2112933.jpg潮(2013年3月号)に「豊かな死を迎えるために」と題された記事があった。
沢山の看取りをしたホスピスの医師の話である。
この医師は、「私は医者になって38年になるが、死に対する尊敬心は一度も消えたことはない。人間の死はすごい。死には決まったプログラムやストーリーなどないし、パターンもマニュアルもない」と語り、さらに次の内容を記していた。(抜粋・文章の一部を変更)
------------------------
私は幼少期、急性腎炎で2回入院した。
入院中、他の子供が亡くなっていくのを目の当たりにした。
そんな経験をして、17歳の時、「亡くなっていく人の傍で、手を握って上げる仕事をしたい」と決めた。
私は、末期癌の患者さんと話をするとき、「死ぬ前に何がしたいですか?」と尋ねた。
「自叙伝を書きたい」とか、「社会貢献をしたい」とか、大きな願いを口にする人はほとんどいない。
多くは、「自転車に乗って街を走りたい」とか、「ダシの効いたおいしいウドンを食べてみたい」、あるいは「息子に弁当を作ってあげたい」と、ごく当たり前の日常を望んでいた。
癌が進行し、立ち上がることもできない方が、「立ってみたい」と言うものだから、「教壇に立つ」という意味かと思ったら、文字通り「立つ」という行為そのものだった。
死を目前に迎えた患者さんにとっては、何でもないような当たり前の日常生活が至上の喜びであることを知った。
もはや、手の施しようもない患者さんでも、「おいしいものを食べた」、「お風呂に入って気もちよかった」と、笑顔に戻るのである。
患者が病院で、医療を受ける時間は、24時間の内でせいぜい1時間。
残りの23時間は、食べたり、トイレに行ったり、人と話したり、寝たりしている。
洗濯物をベランダに干したとき、「きれいな空だな」と思ったり、夜空を見上げたり、日向ぼっこをしている。
脳性麻痺の女性の患者さんとの会話が忘れられない。
雪が降ってきたときのこと。
「空から降ってきているものは何ですか?」
「ゆ‥き‥」
「色は何ですか?」
「し‥ろ‥」
「雪がやんだら、やってくる季節は何?」
「は‥る‥」
「※※さんは、春が好きですか?」
「す‥‥きっ!」
「す」と「き」の間に、少しだけ間が空き、最後には声高らかに「きっ!」と叫んだ。
私は、「好き」という言葉を口にするとき、これほどまでに丁寧な気持ちを乗せて言ったことはない。私自身の生き方が問われたような気がした。
「春が好き」というという感情を思いっきり表現しながら、彼女は豊かな死を迎えた。
------------------------
とても興味深い記事であった。
特に、死んでいくときに、ほんのささいなことに幸せを感じるという記述に共感した。
また、人生の終焉をサポートする医師の志と行動に感心した。
読んだとき、父の晩年の姿を想い出した。
その記事は、→ここをクリック!
看取り、看取られ、人は生き、人は死んでいくのである。
小説「新・人間革命」26巻に、池田先生は次のように語られている。
「生命は永遠である。ゆえに、老いとは、終局を待つ日々ではない。今世の人生の総仕上げであると共に、次の新しき生(せい)への準備期間である。命の尽きるまで、唱題に励み、師と共に、愛する同志と共に、広宣流布の大願に生き抜いていくのだ。そして、わが生命を磨き高め、自身を完全燃焼させながら、大歓喜のなかでこの世の生を終えるのだ。希望に燃えるその境涯が、そのまま来世のわが境涯となるからだ」
一体、私はどんな死を迎えられるだろうか。
池田先生が語られている“大歓喜の死”を果たせるだろうか。
ともかく私は、精一杯、創価と共に悔いなく生きたいと思っている。
結果として、豊かな死を迎えられると信じるから。(^^)
死についての過去の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-10-26 21:19 | 死とは何か | Trackback | Comments(8)

墓地公園の見学

                 ◇ひたち平和記念墓地公園を見学。
c0180341_20143175.jpg

c0180341_20145184.jpg本日、家族で墓石購入の検討のため、茨城県にある創価学会の墓地公園を見学しました。
私の妻の両親は、関東の出身でなく、お墓は所有していません。
1ヶ月ほど前、新規の募集があることを協議会で知り、義父、義母に、「一度、墓園を見学に行きませんか?」と話したところ、了解してくれました。
今の私ですら自らの死を考えます。



c0180341_2015169.jpgですから、妻の両親に至っては、私の何倍も考えていることでしょう。
義父は、過去、都内の創価学会の墓園に職場の学会員の知り合いと行ったことがあると言います。
ですから、創価学会の墓地の雰囲気は知っていたのですが、墓園は予想以上のもので、大変、気に入ってくれました。
「ここは、いいな‥」
区画を笑顔で眺めていました。
永代供養であり、とても安心できる“ひたち平和記念墓地公園”なのです。
妻の両親は学会員ではありません。けれど、「私と一緒にお墓に入ることでよろしければ」と話したところ、両親はこころよく受け入れてくれました。
そこで私は、墓石を購入することを決意しました。公園のあちらこちらを見学し、園内のレストランで食事した後、管理センターで申込書を頂きました。
おそらく、近日中に申し込みをすることになるでしょう。
最後に、どこに眠るのか。大事なことですからね。
まず、臨終を準備して生きていく‥
そんな理想的な歩みが、これからできそうです。(^^)
ひたち平和記念墓地公園は、→ここをクリック!
尚、私の実家の永代供養の墓は広島にあります。
広島の墓園の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-08-25 21:10 | 死とは何か | Trackback | Comments(8)

引退の日

◇定年退職のことを考えることが多くなりました。

c0180341_19563449.jpgすでに3月が終わろうとしている。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るというが、まことにその通りで、年始から3ヶ月があっと言う間に過ぎ去った。
1年もまたかくの如しであろうか。
50歳を越えたあたりから、私の人生観に1つの変化が訪れた。
未来に対し、建設だけを考えていた自分が、定年退職や人生の終わり方を考えるようになった。
今、私は53歳である。
人生80年時代から見れば、まだ若い。しかし、65歳を定年と考えれば、現役時代は12年しか残されていない。
これから夏が来て、秋となり、来年になると、また1つ年を重ねる。
すると残り11年になる。
ふと、周囲を見渡し、定年近い人たちを観察している自分に気付くことがある。
「この人は、今、どんな気持ちで生活しているのであろうか」と。
外見からは、その満足度はなかなか分からない。
かくいう私は、65歳の現役引退の折には、お祝いしてもらうのではなく、お世話になった人たちをお食事に誘い、感謝の意を述べたいと考えている。
そのとき、仕事を悔いなくやり切っていたいと思う。
そこから、一区切りつけて、シルバー1年生としてデビューする。
安月給でいい。70歳までは何かしら仕事をする。
70歳の時には、創価学会創立100周年を迎える。すっかりお爺さんになった私は、青年部の輝かしいパレードを群集の中で見守り、拍手を送っている。
そして、その先は‥。死という人生の総仕上げが待っている。
「高山に登る者は必ず下り」(960頁)と佐渡御書にある。
現役があれば必ず引退がある。生があれば死もある。
「悔いなくこの一生を全うしたい」
その思いが年々強くなる今日この頃です。(^^)
死についての過去の記事は、→ここをクリック!

追伸:私は80歳まで元気でいたいと思っています。
その理由は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-03-31 07:06 | 死とは何か | Trackback | Comments(6)

50代からの人生とは

  ◇どのように生きて、どのように死ぬか。

c0180341_2129347.jpg過去、私は50歳からは「下り坂」と思っていました。
けれど、これはどうも違うようです。
確かに体力も学習能力も落ちます。しかも、かなり極端に。(^^)
でも、精神面は違う。どんどん磨かれる。大きく深く強くなる。
少年の心は美しい、大人になって薄汚れると聞いていたのですが‥
これも違うようなのです。
何故なら、少年は忍耐力もないし、心は狭いし、遊びたくてしょうがいない。
加えて、エゴの固まりだったりする。(^^)
人は苦難の数と大きさだけ、強く清らかになるのでしょうか。
それとも、私の信心の積み重ねによる功徳でしょうか。
不思議なことに、私は、今の方が少年時代より100倍清らかです。
勿論、これは人によりけりでしょう。
どんどん薄汚れる、悪くなるという人もいることでしょう。
さて、私は以前、富士山に登ったことがあります。
上に行けば行くほど傾斜がキツクなって苦しくなりました。
これ、年齢を重ねることに似ていると思います。
気力も体力も衰えてきますからね。
それで普通の人は、「このぐらいでいいや」と向上心がなくなっていく。
でも、学会員の人生に頂上はないようです。どんどん登る。どんどん幸福になる。
最後、歩けなくなったら、そこに腰かけて眼下を見下ろす。
「嗚呼、僕はここまで登ったんだな。素晴らしい景色だな!」
そう思って死んでいけたら、最高だと思っています。(^^)
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by sokanomori | 2012-12-05 05:34 | 死とは何か | Trackback | Comments(18)

Aさんの死

◇来世でも、再びお付き合いしたい人。

c0180341_22375045.jpg私が仕事を通じてお付き合いのあった恩人(以下、仮称Aさんと呼ぶ)が先日亡くなられた。
3年間癌と闘われていた。享年80であられた。
Aさんは、特許を何百も持っている発明家であった。
頑固なところがあり、信念を絶対に曲げない人だった。
発想が浮かんだら、徹底して実験する執念の人であった。
気に食わないと誰とでもケンカした。相手が大企業だろうと、腹を立てたら儲かる取引でも中断した。
そんなAさんであったが、私を大変可愛がってくださった。
仕事となると、夜中だろうと電話がかかってきた。
ある日、休日前、もう寝ていた時間に電話がかかり、「明日、石川県に行ってくれ!」という。気象条件が実験によいとのAさんの判断だった。
行くと、天気が急変、実験が成り立たない。
数日後、今度は朝5時ごろ電話がかかってきた。
「今度は大丈夫だ。今日、すぐに石川県に行ってくれ!」
横で寝ていた妻はつぶやいた。「あなた、可哀そう‥」
そんな、ある意味、めちゃくちゃな熱血の人であった。(^^)
でも、私は頑張る人が好き。信念の人が好き。
Aさんのことは一生、忘れることはないと思います。
Aさん、お疲れさまでした。
また、来世でお会いしましょう。

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by sokanomori | 2012-07-25 22:06 | 死とは何か | Trackback | Comments(10)

死の瞬間とは

◇看護師のネットともだちからのメール。

c0180341_23284068.jpg私たちは、最後、必ず死を迎えます。
人の死の瞬間とは、どのようなものでしょうか。
看護師の友人からのメールを以下にご紹介いたします。
------------------------------
患者さんから死ぬ瞬間のことを聞きました。
もう定年を過ぎた方で、3年ぐらい前に病院の近くで心筋梗塞で倒れて運ばれたんですが、話を聞いてびっくりしました。
病院近くで急に胸が苦しくなり、その苦しさは心臓を手で掴まれたような苦しさで、冷や汗がダラダラと出て、顔は真っ青だったそうです。若い頃に鍛えた体のおかげなんだと思いますが、休み休み歩きながらなんとか病院に辿りついて中に入りました。
事情がわかったスタッフと医師は、ただちに、処置室に運びました。
心臓は苦しく、手で口をふさがれたようで、息も出来ず、辛く苦しい状態が、やがて一瞬、パァ~~~と楽になったそうです。(息も出来て胸も苦しくなくなった)
楽になって心電図を見たら、フラット(テレビで見るように波形が真っすぐになる状態)になっていた。「このままでいい」と思った瞬間、医師が電気ショックをかけ、心電図が動いたかと思うと、また心臓が苦しくなったそうです。
私の勤務先の病院は心臓関係は治療ができないので、すぐに他の病院に搬送されました。
人間って心臓が止まれば意識がなくなるのだと思っていましたが、意識があるんですね。
「死ぬ時にもお題目をあげなくてはいけないよ」と聞いたことがありますが、死ぬ瞬間にも題目をあげる時間はあるんだと思いました。
最近、私はお題目があげれない時がありますが、「持続が大事だ」と患者さんの話を聞いて思いました。 最後の最後まで頑張らなければ。
------------------------------
私は、このメールとよく似た内容を本で読んだことがあります。
それは、将棋の元名人の升田幸三氏の自伝です。
子供の頃、高熱でものすごく苦しくなり、やがて呼吸停止(死んだ状態)になって、その後、全身の痛みや苦しみがなくなったという内容でした。
そのとき、親が升田氏を揺り動かし、やがて息を吹き返しましたが、升田氏は自伝の中で「死は恐いものではない」と述べていました。
生から死への転換の瞬間とは、そのようなものなのかも知れませんね。
この内容から、過去の聖教新聞の「おくりびと」記事を思い出しました。
そこには、「人は生きてきたようにしか死ねない」、「死を目前にしたとき、問われることは、何のために生きたか、どのように生きたかである」と書かれています。
その「おくりびと」の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2012-03-15 00:03 | 死とは何か | Trackback | Comments(23)

草の上の露

  ◇2人の知人の死に思うこと、感じること。

c0180341_5465931.jpg11月に入り、知人2名の死去を知った。
1人は43歳、もう1人は50歳であった。
2人とも、元職場の知人であり、お付き合いも深かったのでショックだった。
43歳の知人は、39歳でガンを発症し、4年間の闘病生活をしていたという。
50歳の知人は、昨年末にガンが発覚、8月に亡くなられた。
ガンの有効な対処方法は、早期発見、早期治療といわれるが、2人は発見が遅かったようだ。
11月2日、私は43歳の知人の通夜に出向いた。
祭壇に掲げらえた彼の写真を見て、悲しみと悔しさで一杯になった。
「Tさん、何でこんなに早く死んだの?」
私の心に、その言葉が、何度も浮かんでは消えた。
さらに葬儀の数日後、もう一人の知人が、すでに2ヶ月も前に亡くなっていたと聞いた。
私は、相次ぐ知人の死に悶々とした。
彼らの闘病を私は知らなかった。もし、知っていたら、お見舞いにも行ったし、励ますこともできた。加えて、平均寿命が80歳を越える現代である。早過ぎる死が、残念でならない。
彼らは、死をどのように受け止めたのであろうか。自らの人生に納得できたであろうか。
私は今、2人に追善回向の題目を送っている。題目を送りながら、私自身のこれからの人生をいかにすればよいかを模索しているところである。
日蓮大聖人は、次のように仰せである。
「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露・百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは・生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(1173頁)
人生の幸、不幸は、長短ではないし、大事なことは中身である。
けれど、健康に留意し、健康を作ってゆかねば、十分な使命を果たすこともできない。私たちは、自らの使命を悔いなく果たすためにも、己が健康を正しく認識する必要がある。
私は、今月、健康診断がある。その診断の結果を含め、体の部位ごとの状態をもう一度真剣に見つめなおし、健康作りへの関心と努力を強めていこうと思っています。
皆さまにおかれましても、ハツラツとした健康を維持していただきたいと願っております。
健康づくりに関する記事は、→ここをクリック!
過去の葬儀の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-11-12 06:31 | 死とは何か | Trackback | Comments(10)

父の夢

              ◇久し振りに父に会いました。感動しました。^^
c0180341_22414754.jpg

昨日の朝のこと。
10年前に亡くなった父の夢を見ました。
私が何か、父に話をしている。父は微笑みながら、私の話を聞いている。
その瞳は、慈愛に満ちていた。暖かな、春の日差しが入る和室で、私は父と楽しい時間を過ごした。やがて、目が覚めた。まだ、早朝で薄暗かった。
夢と分っても、元気な父に接することができたことが嬉しかった。
「父は今、幸せなんだ」と確信した。感謝の心と歓喜とが涌いてきた。
上写真は、父の最晩年のときのメモである。
日記も書かぬ父であったが、唯一、病床で書き残していたものである。
当事のメモには、「大願成就」の文字が多く見られる。
病気を克服し、大願を成就したいと願っていた父。その父の大願とは何であったのか。
父の大願は、叶えられなかったのかも知れない。けれど、その大願成就は、私がやる。
この形見のメモを見るたびに、私は誓うのだ。
「お父ちゃん、僕が、お父ちゃんの分も頑張るからね」と。
子の信心で、親は幸せになれます。子の勝利は、親の勝利です。
過去の烏竜遺竜(おりょういりょう) の記事は→ここをクリック!

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by sokanomori | 2011-04-21 23:12 | 死とは何か | Trackback | Comments(11)

死とは何か

◇創価学会員の死のとらえ方
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幼少のころ、死は怖いものだった。
小学校低学年のころ、父が死んだ夢を見た。
夢の中で泣き、泣きながら私は目覚めた。
当時の私にとって、死とは永遠の別れであり、暗黒の世界であった。
仏教を学び、数々の経験を重ねていくうちに、死は怖いものではなくなった。むしろ、死は必要なものであるとの認識に変わった。
おそらく、創価学会員ほど、死に対する強い免疫力を持っている集団はないであろう。死は、夜、眠るようなものである。
眠りが1日の生活の疲れを癒し、はつらつとした次の日の生命活動を作るように、死は新しい人生を作るのである。
落葉樹は、夏に太陽光を浴び、養分を根から吸収して、エネルギーを幹や根に蓄える。春、気温の上昇と共に、樹木が一斉に若葉を出し、枝を伸ばすのは、内に蓄えたエネルギーの発露である。
死も同じく、若々しい生命を得るための休息の時である。
問題は、宿業であり境涯だ。
良き宿業を持つ者は、良き死と良き来世を得られるであろう。
ならば、悪しき宿業はどうか‥。
このことを、誰よりも知っているのが創価学会員である。
人類の至宝である法華経「如来寿量品第十六」において、私たちは朝に夕に読経しながら、永遠の生命を謳いつつ、広宣流布の決意をしているのである。
「自我得仏来・(中略)・方便現涅槃・而実不滅度・常住此説法」(我自身、仏を得てより以来、方便として涅槃を現じながら、しかして実には不滅にして、常に此の世に住して説法をする)‥
これは我々自身のことを言っているのだ。
祈りと広宣流布という行為の中、私たちは仏となり、死して再び、仏になるために生まれることができる。
南無妙法蓮華経如来の寿命の量は、尽きることなく永遠に続くのである。
創価の死とは、そのように晴れやかな死である。

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by sokanomori | 2009-10-05 23:58 | 死とは何か | Trackback(1) | Comments(13)

寝台特急の夜

                    ◇故郷の葬儀で思ったこと。^^
c0180341_047187.jpg

c0180341_0474049.jpg叔父が死去した。享年86歳であった。
一昨日、夜行バスで岡山に帰り、叔父の葬儀に参加した。葬儀終了後、寝台特急「サンライズ出雲」に乗車して帰京した。
叔父の家に着いたのは、葬儀の1時間前のことである。母は、前日の通夜から一泊し、叔母を励ましつつ私の到着を待っていた。私は母や親戚と共に、叔父を来世へと見送った。
私には信仰があるから、死を消滅とは捉えない。死は、次なる生の旅立ちの時である。加えて、人生の総仕上げが死である。
叔父は学会員ではなかった。他宗のしきたりでの葬儀であった。焼香を終え、出棺。火葬して骨を拾った。人間の骨。真っ白な骨を見て、叔父の今生の終焉を悟った。叔父はすでにこの世にはいないのだ。生前の境涯を持ち、来世へと渡ったのだ。
私には叔父との想い出がある。幼少のころ、松茸山でお腹一杯、マツタケを食べさせてもらった。その時、木の枝をナイフで削り、箸を作ってもらった。マツタケを炭火で焼き、酢醤油で食べ、すき焼きにまで入れてくれた。贅沢の極みである。その時の、叔父の愛情あふれる笑顔が鮮烈に記憶に残っている。葬儀の前後、残された叔母との対話に私は泣いた。悲しくて泣いたのではない。叔母の美しい心と、叔父に対する感謝の心から泣いたのである。
葬儀は、権教の読経だった。叔父は、生涯、創価を知らず、法華経を知らずして逝った。
経典は、いかに生きるべきかを説いたものである。では、何故、仏教の教えを死に際して読み上げるのか。思うに、最高の人生とは何かを謳い述べることで、死者の来世の人生が最高のものになるよう、願いを込めたのではないか。加えて、残された遺族が仏の教えを学び、再びの歩みを開始できるようにとの意味が込められているのではないか‥そんなことを考えながら、私は寝台特急の天井を見上げていた。
人は生きて、いつか死ぬ。死と共に、灰となる。小さな骨壺に収められ、墓に入る。
私達は、限りある人生を生きている。火葬され、真っ白な骨になったとき、最高の境涯を持って再びの広宣流布の旅路を歩みたい。そんな強固な自分を作りたいと思った。
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by sokanomori | 2009-10-04 23:57 | 死とは何か | Trackback | Comments(16)


創価学会員としての日常生活を語ります。^^


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