カテゴリ:体 験( 33 )

さようなら!

◇このブログは私の53年間の体験談です。

c0180341_18342199.jpg過去から現在、そして未来へと、時代は移り変わります。
生まれたものは、輝かしい青年期を経て老人となり、
やがて、その一生を終えなければなりません。
釈尊に始まる仏教はシルクロードを渡り、
中国、朝鮮半島を経て、私たちの日本に伝来しました。
人類が真に豊かに、あるいは各々の不幸をどのように克服していくか。
その智慧の教えと実践方法が仏教です。
無宗教の人たちから見れば、仏教は葬式のためにあると思われるかも知れません。
けれど、仏教は、生きている人のためにあるのです。
このブログは、平凡な一人の学会員の53年間の軌跡です。
そして、読者の方々の温かな励ましと導きに支えられたブログです。
お時間のある方は、どうか、ご覧になってください。
きっと、新しい何かが見つかることでしょう。

c0180341_18345817.jpg

読者の皆さま、お付き合いをいただき、誠にありがとうございました。
また、コメントを下さった皆さま、心より感謝しております。
思いは尽きませんけれど、これにてブログを終了いたします。
リアルブログは、もう、これからはありません。
私は語り尽くしました。ですから悔いもありません。
少しゆっくりさせていただいて、また新しい夢に向かって歩んでまいります。
皆さまのご多幸とご健勝を、心よりお祈り申し上げます。
どうか、いつまでも、いつまでも、お元気でいてくださいね!
それでは、皆さん、さようなら!

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by sokanomori | 2013-11-30 21:14 | 体 験 | Trackback | Comments(106)

ブログの功徳

◇ブログ活動で強くなった“私のこころ”。

c0180341_19583549.jpg本日は、5年間のブログ経験で得られた“私の心境の変化”について語りたいと思います。
実は、私、ずっと、口にできなかった言葉があります。
それは「師弟不二」。
どうしても、不釣り合いです。
そもそも、平凡な信心しかない私。池田先生のように全人生を広宣流布に捧げる、捧げ切る‥そんな歩みは真似ができません。
いつも“そこそこ”で、“それなり”でいいと考える私。
「やらないより、やっているのだし、この程度でもスゴイこと‥」
事実、信心は“そこそこ”でも、十分に、飛び切り幸せになれたのです。「幸せなら負けない!」という自負があったし、「これでいい!」と満足もしていました。
私は元来、愚鈍で、単細胞で、怠け者です。けれど、平凡な信心でも幸せになった。十分過ぎる人生になった。けれど、池田先生と不二の信心ではない。
先生は、休息もなく、365日、24時間、広宣流布のために行動されている。
むしろ、本気の信心は怖かった。難は必定ですから。
師弟不二は「今生ではありえない」‥と、どうしても思ってしまう私。
しかし、この途方もない意識の溝が、近頃、ほんの少し埋まったのです。
それは、5年間のブログ活動で続いた批判、誹謗中傷の体験からでした。
言い方は悪いのですが、“たかだかブログ”。
平凡な学会員としての日常を語っているに過ぎないささやかなブログに、気の遠くなるような膨大な量の批判、中傷が続いたのです。
その数、数千‥いや万の単位かも知れません。
毎日、無数の批判が書き込まれ、他サイトでも徹底的に批判されました。
あるいは、コメントのやりとりで、こちらの真意とはかけ離れた受け止め方をされ、叱られたり、厳しい指摘も受けました。おそらく、普通の生活をしていて、これほどの非難を受けることは、まず、ありません。
「自分は、過去世に何をしたのだろうか。人様を誹謗中傷したのだろうか‥」
正直、悩みました。そして、気付きました。
わずかばかりでも法華経を語るなら、三類の強敵は巻き起こる‥
経文の通りでした。六難九易は事実でした。
私は、三類の強敵がブログにも出現することを知ったのです。
私は批判にじっと耐えながら、「先生だったらどうされるか」と自問自答し、諸問題の解決を願い、唱題を続けました。
結果として、僅かばかりではありますが、「師弟不二」を身で読んだと思います。
勿論、ほんの少しです。爪の垢程度です。でも、私は体験した。そして、師匠の心労と業績とが途方もないものであることを知ったのです。
私は、心の底から、叫びたい。
「池田先生は、想像を絶する人だ!世界一立派な人だ!」と。
井の中の蛙は、「大海を知らねども天の高きことを知る」と云います。
先生の偉大さと、先生の労苦を感じられたことは望外の幸せです。
「創価の森ブログを続けて良かった‥」
私は今、“灸の後”のように爽やかな気分になっています。(^^)
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by sokanomori | 2013-11-01 21:55 | 体 験 | Trackback | Comments(35)

バーン!とクルマに当てられて‥

◇功徳でしょうか、それとも何かの瑞相でしょうか。

c0180341_5591576.jpg時計の針が1つずつ動き、さらに1分が1つ動きます。
朝、太陽が昇り、夕に太陽が沈みます。
地上は闇に包まれ、月が出て、天空に星々が輝きます。
リアル創価の森ブログも、残すところ2ヶ月となりました。
5年という歳月が流れ、1825日のブログの旅のゴールが、刻一刻と、目前に迫ってきています。
本当に、様々な話をさせていただきました。まだ、振り返りたくはないのですが、残り少なになりますと、やっぱり振り返る自分があります。
さて、今思うことは、ブログ完結の直前にズッコケたくないということ。
九百九十九里を歩んだとしても、残り一里で落とし穴に‥
そんなことになったら大変です。(^^)
実は、半年前、危ないことがありました。
その日は雨で、仕事帰りの夜10時ごろのこと。
バスはすでになく、雨だったので自転車に乗らず、徒歩で自宅に向っていました。
左手に傘、右手に携帯電話を持ち、奥さんと話しながら道の左隅を歩いていた。
自宅近くの暗い道。後方から1台の自家用車が凄いスピードで走ってきて、右肩から下げていたカバンを吹き飛ばしたのです。カバンは私の二の腕を回転しました。クルマの側面は、私の体と接触しながら通過しました。
呆然としました。しばらくして我に返り、「守られた!」と思いました。
もし、私が電話をしていなかったら、右腕は骨折していたことでしょう。
しかもその日は、カバンにノートパソコンが入っていなかったのです。
ほぼ空っぽのカバンだったから、軽くて無傷で助かった。紙一重でした。
あの時、もし、クルマがあと5cm左を走っていたら‥
私はクルマにはねられていたことでしょう。(^^:
人の命は、いつ何時、どうなるか分かりません。
ですから残り2ヶ月ですけれど、されど2ヶ月と思っています。
大聖人は、「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(1169頁)と仰せです。
私は、5年間をしっかりと完歩しなければなりません。
お題目を大いに唱えて、百千万億倍、用心したいと思っています。
「人生何があるか分からない」は、→ここをクリック!
私のノートパソコンは、→ここをクリック!

追伸:尚、自宅のパソコンがこの数か月とても不調です。画面がユラユラしています。
パソコンさんも、最後まで壊れないでいただかないと!(^^:

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by sokanomori | 2013-10-06 06:27 | 体 験 | Trackback | Comments(18)

続・功徳の花


◇美しく今年も咲いたアマリリス。
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先日の朝。
「アマリリスが咲いたよ!」と奥さんの明るい声がした。
見ると、ガラス越しにアマリリスが美しく咲いていた。
「もう、何年、咲いているのかな?」
「23年。途中、元気のないときもあったけど、今年は元気」
「23年か。あと2年で四半世紀なんだね‥」
このアマリリスは、結婚のお祝いに元の職場のIさんとOさんがプレゼントしてくれたもの。毎年、奥さんは大事に育て、球根を植え替えながら23年咲かせ続けている。
今、Iさんとは交流がないが、Oさんは今も身近にいて、一昨日、このことをご当人にお話した。するとOさん、ビックリ仰天した。
「えー!そ、それはスゴイ!!」と目を白黒。
「アマリリスは、どんな花言葉なの?」と聞くと、Oさんは「いやー、知りません。Iさんは知っていたのかも‥」と頭を掻いた。
ネットで花言葉を調べると、アマリリスは「素晴らしく美しい」とか「おしゃべり」らしい。
Iさんは、「おしゃべりの絶えない家庭」を願いプレゼントしてくれたのであろうか。
美しく今年も咲いたアマリリス‥私にとってこの花は “功徳の花”。
かけがえのない宝物なのです。
功徳の花の別記事は→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-06-05 05:55 | 体 験 | Trackback | Comments(16)

功徳の花

                 
◇薔薇が咲いた。赤 白 黄色。(^^)
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朝、リビングに行くと薔薇の花が飾られていた。
わが家に咲いている薔薇を、義母が飾ってくれたものだ。
色とりどりの薔薇の花に、しばし見惚れた。
顔を近ずけると、ほんのり甘い香りがした。
折り目正しく、花弁を幾重にもかさねて光の陰影が鮮烈だった。
私は、薔薇を見ると思い出す風景がある。
それは幼少のときのこと。
同級生に医者の子供がいた。庭にはブランコがあり、薔薇の花が咲いていた。
当時、洋風の庭は珍しく、遊びに行くとケーキが出てきて驚いた。
私の家には庭らしきものはなく、大きな柿の木が一本あった。
秋になると、柿が沢山実をつけた。わが家の庭?は、実利オンリーだった。(^^)
その私が東京で働き始めた。
東京の街で見る戸建て住宅を見て、私自身、家が買える身分になるとは想像もできなかった。汗にまみれ、夜となく昼となく働いて、クタクタになっても貯金は溜まらない。
池田先生の書物を読み、ため息をついた。
「僕はどうなるんだろう。僕はどうすればいいのだろう‥」
社会の底辺にいるような惨めな青春だった。
26歳のとき結婚し、27歳で離婚した。
憔悴した心で、生まれて初めて100万遍のお題目をあげた。
以来、四半世紀の時が流れた。
気付けば、私は薔薇の花咲く家に住んでいる。
「我此土安穩 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆技楽 雨曼陀羅華 (がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん おんりんしょどうかく しゅじゅほうしょうごん ほうじゅたけか しゅじょうしょゆうらく しょてんきゃくてんく じょうさしゅぎがく うまんだらけ)」
自我偈にある通り、私の堂閣は宝樹、多華果によって種種に荘厳され、雨曼陀羅華のごとき薔薇たちに囲まれている。
わが家の庭は、春夏秋冬、花が絶えることはない。
私は御本尊様から、ペン一本から家一軒に至るまで、あらゆるものを頂きました。
薔薇の花。それは、私にとって“功徳の花”なのです。
薔薇の花束の記事は、→ここをクリック!
別の薔薇の記事は、→ここをクリック!

追伸:庭を管理してくださる義母さんと奥さん、ありがとうございます。
義父さんも、ときどきありがとうございます。
いつも、大感謝しております。(^^)
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-05-21 23:21 | 体 験 | Trackback | Comments(12)

創価学会員が幸せになるプロセス

◇不幸を1つ1つ乗り越えていくと‥

c0180341_2058396.jpg人生は平坦ではない。
山もあるし谷もある。
滑落すれば命のない険難の峰もある。
鬱蒼と茂った道なき道を行くところ、
鋭い草の葉に肌を切られ、
血がしたたり落ちることがある。
大蛇がいる。獰猛なケモノがいる。
足元に毒蜘が徘徊し、
眠れぬ夜を何度過ごしたことか。
眼前の岩の壁を避ければ遠回りになるし、
さりとて、切り立った斜面を登る自信もない。
嵐も吹雪も、灼熱の太陽の渇きもあり、
翻弄され、悩まされた日々が続きもした。
最初、私は、この1つ1つの不幸を乗り越えるために信心をした。
途方もない苦難に遭遇したとき、必死で祈りもした。
今世に生まれ、振り返れば五十三星霜‥
唱題は今、900万を超え、1000万遍へと昇華しつつある。
気付けば、信心は安定し、淡々と実践する生活が訪れた。
不幸を1つ1つ乗り越えていくところ、
そこに想像を絶する幸せが待っていた。
空気がこんなにも甘く、風がこんなにもやさしく心地よいものになるなんて!
成功者の美談を聞き、我がことのように喜べる自分になっているなんて!
創価の発展を、最大の喜びにできる心になっているなんて!
そして、師匠の偉大を心から感じ、讃嘆できる命になっているなんて!
不思議です。まさに妙法と思います。
私は、若かりしころの1万倍も幸せになっているのだから。
周囲から見れば、どこにでもいる平凡な私。
けれど、その幸せは途方もなく大きいのです。
辛い過去を描いた記事は、→ここをクリック!
もし、信仰がなかったら→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-05-10 06:15 | 体 験 | Trackback | Comments(22)

一枚の絵

                
◇新築祝いに会社から頂いた絵画。
c0180341_7262056.jpg

わが家の壁には、1枚の絵が飾られている。
一本の大きな木が聳え、その向こうに人々がたむろしている絵である。
モノトーンで、詩的な絵である。
この絵を頂いた当時は、所属する会社が「持ち家制度」というものを提唱し、社員に家を持たせようとしていた時代であった。私は35歳だったと思う。
ポツポツと社員が家を持ち始め、私も刺激を受けて購入した。
会社も好景気で、その恩恵を受けた。
しかし、当時、私は信心をほとんどしていなかった。
仕事だけ。後は、何もない生活だった。
「仕事で、前のめりで死ねたらそれでいい」というような猛烈仕事人間だった。
しかし、仕事を離れると、何か違和感があったし、寂しさがあった。
「仕事だけでいいのだろうか。あとは何もない生活でいいのだろうか」
この絵は、私が会社の上司に連れられて画廊で選ばせていただいたもの。
今の私から見ると、過去の私の心境がよく表れている。
当時、温かい人と人との触れ合いに憧れ、でもその輪の中に入れない自分であった。だから、憧れの人々を木陰から私が眺めているのである。
仕事だけ人生の自分が、創価の人たちを覗き見ているのである。
当時の私は不幸ではなかったが、まだ幸福の意味を知らなかった。
さて、あれから18年経った今、私は、この木陰に立ってはいない。向こうの人々の中に私はいるのである。大好きな創価家族の人々の中で、励まし、励まされ、充実した生活をしているのだ。 (^^)
けれど、私は知っているし、忘れない。
木陰から、草原の遠方から、どこそこから、過去の私のようにそっと、寂しい思いで覗き見ている人がいることを。
その寂しい人に私は申し上げたい。
「どうか、あなたも、創価家族の輪の中に入ってみては?」と。 (^^)
組織に溶け込み、小さな信心の継続ができるようになると、寂しさなんか無くなる。温かで、居心地が良くて、楽しい学会員の生活が堪能できる。
私はこの絵を見るたびに、当時の小さな境涯の自分を思い出します。
そして、人生の大いなる変化を感じるのです。

追伸:この絵を贈呈された家は、その後、売却して2件目の家を購入しました。
この絵は、現在の家の壁に飾っています。

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by sokanomori | 2013-04-22 07:01 | 体 験 | Trackback | Comments(26)

続・私の幸せ <心の財>

◇「心の財(たから)第一なり」ですね。(^^)

c0180341_5462074.jpg前回、「普通」が夢だったというお話をしました。
その記事は、→ここをクリック!
記事の中で、「幸せは大富豪にも負けない」とも申し上げました。
「どうせ自己満足なんだろう?」とか「一時的な気持ちでは?」と感じられるかも知れませんね。
本日は、どのように変わったのかを、「池」に喩えてお話しましょう。(^^)
若かりし頃の私の心はとても狭く、小さく、底の浅いものでした。
それは小さな池のようなもので、しかも、何ともみすぼらしいものでした。過去、「大きな釜の小さな池」という記事を書きましたが、その大きさの10倍ぐらいでしょうか。^^
その「小さな池」の記事は、→ここをクリック!
でも、このような清らかで美しい状態ならいいのですが、狭い上に、何とも気味の悪い池だったのです。狭くて、息苦しいのです。
水は汚れているし、周囲は雑草だらけ‥。草むらにヘビがいたり、虫がウジャウジャいるような、そんな耐え難い状態だったのです。
譬えるなら、それが私の命でした。
その命が、信心をして変わりました。
湖のように広く、大きく、深い命に変わったのです。
周囲には緑の木々が生い茂り、水は清らか。空には鳥が飛び、水中には大きな魚も住んでいます。水面には、昼間は太陽、夜は月光が美しく反射しています。
勿論、極寒の冬もあれば灼熱の夏もあります。
けれど、この池は、とても大きく深いので、外的影響を強く受けません。
すなわち、私の心は、若かりし頃の何百倍も大きくなり、光も空気も何千倍も多くなったような感じなのです。
日蓮大聖人は、「蔵の財よりも身の財すぐれたり・身の財より心の財第一なり 」(1173頁)と述べられましたが、そのことを毎日、実感できるような「精神面の変化」が、私の身に起こったのです。
勿論、パーフェクトではありません。時には、水面をゴミが流れていたり、濁った水になっていたりすることがあります。(^^:
ましてや、池田先生や信心強盛な方々に比べれば、まだ小さく比べ物になりません。
けれど、少なくとも、私自身の中では以前とは全く違った境涯になったのです。
境涯はお金で買えません。誰かが与えてくれるものでもありません。
大きな池になったというのは、他への思いやり、慈しみ、感謝、感動などが大きくなったということです。平凡な生活であっても、毎日がとても楽しく、愉快なのです。
心の財の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-04-21 06:19 | 体 験 | Trackback | Comments(15)

私の幸せ

◇“普通の人”が私の夢でした。

c0180341_624334.jpg私は、高望みをしない子供でした。
この広い世界の片隅に、ほんの小さな自由な空間があり、そこに平凡に生きられたら、それで良かったのです。
そもそも、私は小児結核で、小学1年生のときには3学期中2学期を休んでしまいました。
落第することになり、学校に父が呼ばれました。
このとき、父は「落第はさせません!」と言い切り、私は何とか進級することができました。
小学3年生までは、体育でも見学しているような病弱さでした。
このため、運動はもとより、勉強も遅れがちで、通信簿には「3」がずらりと並んでいました。
唯一、何故か、図工だけが「5」でした。
そんな私でしたから、未来は希望に満ちたものではありませんでした。
漠然とした不安がずっとありました。

「将来の夢」を作文にするようなときは、とても困りました。
私の夢は、「普通の人」だったのです。普通でいいのですが、その普通がいかなるものかは想像できないのです。
作文は書きましたが、仕方なく書いたもので、何の特徴もないものでした。
やがて中学に上がり、やっと普通の体力と普通の勉強ができるようになりました。
通信簿に「4」が増えたことに驚きました。
小学時代の「オール3」の時代から見れば、スゴイことでした。
けれど、あくまで「普通」なので、特別、何かが勝るということではありません。
やがて、高校、大学を経て、就職することになり、やっとその段階で、自らがどのような仕事に適しているのかが見えてきました。
けれど、満足のいく社会的立場は長く得られませんでした。
社会の底辺で、暗がりから空を見上げているような惨めな日々が続きました。
若かりし頃に書いた詩は、→ここをクリック!
山あり、谷あり、まさかの坂がありました。年々歳々、いつも不安を抱いていました。

その私が、40歳から信心を真剣にやって、ついに「幸せ」を掴みました。
生れてはじめて、信・行・学を真剣に実践したのです。
その体験記事は、→ここをクリック!
今、私は、周囲から見れば、初老の少々くたびれた50代のオジサンでしかありません。
けれど幸せです。幸せの大きさは、世界の大富豪にも負けないと思っています。
私は、私が目標にしていた「普通の人」になりました。
そして、幸せを強く感じることができる心を持つことができました。
何故だろうと、思うことがあります。
きっと、1つ1つの悩みを、祈り、克服していく中で、そういう命になったのでしょう。
ありがたいことです。創価学会に大感謝です。(^^)
私の幼少期の記事は、→ここをクリック!
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-04-15 06:09 | 体 験 | Trackback | Comments(14)

チャンスのヒット

 ◇2アウト一打同点の打席での勝負。

c0180341_20371870.jpg本日、会社オーナーから「予想外にウケたよ。よくやった」と褒められた。
滅多に褒められることはないから、とても嬉しかった。
久々のヒット!でした。
指令を受け、あることを調べ、あるモノを作ったのですが、その作品がオーナー社長の大事なお客様の興味を引いたようです。
野球に例えるなら、9回裏で1点負け越しでの2アウト1塁3塁での打席という仕事でした。
期待に応えられるかどうか‥。その結果は、長打を放って3塁走者に続いて1塁走者もホームを踏んだような結末になったのです。(^^)
人は皆、チャンスに打ちたい。でも、そう簡単に打てるものではない。
当たりが良くても外野フライで試合終了がオチ。
三振したり、ボテボテの内野ゴロなんてことはざらです。
そんな悲しい経験を山ほどしている私です。(^^:
まして、長打でサヨナラ勝ちを放つことはムズカシイ。でも今回、クリーンヒットになった。
これは、間違いなく、本年最初の鮮明な功徳です。^^
少々難しい道のりでした。どのように作れば機能するのかと迷ったし、先が見えなかった。その道を発見したのは、まさに御仏智と呼べる“ひらめき”でした。
「このカタチなら、できるかもしれない‥」
自信はなかった。私は、過去、このカタチでアプローチはしたことはなかったので。
場合によっては、「全然ダメ」となる可能性もあった。
それが長打になった。しかも、決勝打。
まだ、本年は始まったばかり。ますます頑張っていい仕事を果たしたい。
さあ、仕事も信心も勝ちきるぞ! 11.18を大勝利するぞ!(^^)

      

一昨年は、逆転満塁ホームランを打つことができました。(大変でしたが)^^:
その満塁ホームランの記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2013-01-24 22:22 | 体 験 | Trackback | Comments(17)


創価学会員としての日常生活を語ります。^^


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